プログラミング教育必修化に向けた準備が進み、各自治体の課題が見えてきた
プログラミング教育は、文部科学省だけでなく、総務省、経済産業省も注目している分野であり、自治体などは各省庁の助成事業や採択事業に関わるなど、民間企業やコンソーシアムとの連携が各地で進んでいる。
プログラミング教育において、小中学校が民間企業やNPOと共同プロジェクトなどを進める場合、その企業の製品や教材、ツールをベースにした機材協力や、トレーナーや支援員の派遣、模擬授業等の研修といったサポートを受ける例が多い。学校にとって知見の少ないプログラミング教育を展開するのに効果的だからだ。
しかし、その一方で私企業や業者に依存してしまうなど、問題もゼロではない。産学連携プロジェクトを活用し、省庁の助成や採択が関係すれば予算や保護者への負担など軽減できるメリットもあるが、支援年度が終わると同じレベルの活動継続が困難になる場合もある。
また、そもそも「プログラミング教育」という言葉が示す意味範囲が広く、何を指すのか曖昧になりがちだが、今全国の学校が準備を進めているのは「教育課程内でのプログラミング教育」だ。これには、「各教科等での学びをより確実なものとするための学習活動としてプログラミングに取り組むもの」や「学校の裁量により、学習指導要領に示されている各教科等とは別にプログラミングに関する学習を行うもの」が含まれる(文部科学省「小学校プログラミング教育の手引(第一版)」より引用)。
これらを学校主体でどのように行うのか検討することが急務である。各自治体や学校が工夫を凝らしているところだが、北海道石狩市教育委員会は、IT企業「さくらインターネット」とタッグを組み、管轄内小学校のプログラミング教育を展開しようとしている。
この取り組みの実現には、企業担当者と市教委関係者との関係が重要な役割を担っていた。企業と市教委が同じ方針を持ってひとつのプロジェクトを進める貴重な事例として、両者へのインタビューを敢行した。
石狩市とさくらインターネットによるプログラミング教育支援プロジェクト
さくらインターネットは、主に企業向けのデータセンター事業を展開するIT企業だ。文教向けソリューションとしては、学術情報ネットワーク「SINET」への接続サービスや研究機関や学術機関向けのクラウドなどを持っているものの、プログラミング教材やツールを手掛けているわけではなく、公立小中学校や教育委員会とは特段の接点があるわけではない。
ただし、同社は石狩市にデータセンターを持っているので、石狩市との接点はあった。今回のプログラミング教育支援の取り組みは、社長から社会貢献活動(CSR)としてプログラミング教育支援の名を受けた朝倉恵氏が、石狩市に相談することから始まったという。朝倉氏によれば、さくらインターネットがプログラミング教育へコミットするようになった背景は次のとおりだ。
「弊社の社長はCSAJ(日本コンピュータソフトウェア協会)の理事を務めており、協会の中で『プログラミング教育委員会』を立ち上げました。この委員会は、業界の総意として、プログラミング教育について教材の売り込みが先行して、学校が本当に必要なものが提供されない事態を避けようといった趣旨で設立されたものです」
朝倉氏は石狩市出身で、同社のデータセンターで運用およびファシリティ管理のリーダーを務めていた。データセンター誘致で市と接点のあった朝倉氏は、まず当時の企業誘致担当だった佐々木宏嘉氏(現 石狩市教育委員会生涯学習部 学校教育課 課長)に連絡をとり、石狩市教育員会 生涯学習部 松井卓次長に「プログラミング教育で協力したい」と相談した。
松井氏が相談を受けたのは2016年。ちょうど学習指導要領の改訂が決定して、プログラミング教育という言葉が取り沙汰され始めたころだ。市教委としても取り組むべき課題のひとつと認識していたので、朝倉氏らの申し出を受けることとした。
「当時、『プログラミング教育』という言葉は出ていましたが、私も含めた先生たちはそれが一体何をするものなのか全く見えておらず、具体的に現場でどう進めればいいかわからない状態でした。相談を受けたとき、朝倉さんは具体的な提案とプランを示してくれたのが(決め手として)大きかった。かなりスムーズに話が進み、2017年3月の校長会に朝倉さんにも来ていただいて、プログラミング教育の説明を行い活動を開始しました」
こう語る松井氏だが、朝倉氏には同時に「先生方は多忙なので、プログラミング教育の研修という形で集まっていただくのは難しい」といった現状もはっきりと伝えたという。朝倉氏は以前、IchigoJamという、子ども向けのプログラミング専用パソコンを作っている会社に所属していたため、プログラミング教育の意義を感じられる機会があった。とはいえ、新指導要領はパブリックコメントを募っている段階で確定したものではない。教材や環境についても制約もあった中で、独自の授業プランを考えたという。