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「50センチ革命」を起こす人材を育てるため、公教育と民間教育それぞれができることとは――経産省の第3回「『未来の教室』とEdTech研究会」より(後編)

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2018/06/11 14:00

 経済産業省は5月8日、3回目となる「『未来の教室』とEdTech研究会」を開催した。これまで2回の研究会(1/19、3/28)と4回のワークショップが開催されており、「新しい時代の学び」について教育関連企業などから意見を募っている。第3回はそれらを踏まえ、さらに多面的な意見交換の場として開催された。後半は、取りまとめに向けた議論を進めるため、経済産業省サービス政策課教育産業室の浅野室長より議論のフレームの確認およびコンセプトの整理について述べられ、ゲストスピーカーの熊本大学教育学部准教授の苫野一徳氏、全国学習塾協会 会長の安野大作氏によるプレゼンテーションが行われた。続く質疑応答および意見交換についても一部紹介する。

「チェンジ・メイカー」を育む公教育の課題と解決策を議論

 会の後半ではまず、経済産業省サービス政策課教育産業室の浅野室長より、本研究会の議論のフレームの確認および取りまとめに向けた構成イメージ案が示された。

 世界的に構造変化が進む中で、日本は超高齢化・少子化社会にもかかわらず、生産性が低いとされている。課題先進国でありながら、課題解決先進国とはいえない状態だ。逆に言えば、産業化や地域でさまざまなカイゼンやイノベーションを生み出す余地が大きいということ。そこに必要な人材となるのが、社会の生産性向上を支える多様な「チェンジ・メイカー」だ。

 なお「チェンジ・メイカー」は必ずしも「偉大なる社会改革家」ではない。社会は既に少数のエリートやリーダーが改革できるものではなく、一人ひとりがさまざまな分野で身の回りを良くすること、すなわち「50センチ革命」を起こすことが必要とされている。そうしたチェンジ・メイカーの資質として「圧倒的な当事者意識」「課題発見力・設定力・解決力」「創造力」「基礎学力・基礎スキル」が挙げられ、さらに幼少期から「自信・自己効力感・自己肯定感」「遊び心」「多様性の中で協働する力」「周囲を巻き込む力」「レジリアンス」などが基盤として育まれるべきだという。

 こうした「チェンジ・メイカー」を育成するための「今の学び」を考える時、これまでの研究会やワークショップでの発言や議論を整理すると、課題は大きく3つに整理される。まず「興味関心よりも『勉強』が重視されてきたこと」「『学びの生産性』の視点が弱かったこと」、そして「自前主義によって教員に負荷がかかる『大きな学校』が多いこと」などだ。

 そうした議論を踏まえ、「未来の学校」のあり方として「『何が好きか』から始まる学び」や「学びの生産性を高めるシステム」「多様な協業が可能なプラットフォーム化による小さな学校」といった姿が見えてくる。そのためには自身の興味関心を出発点にしたSTEAM教育やICTを活用したEdTechが一般化し、教育や評価、外部連携などの従来の仕組みが刷新される必要があるだろう。

「未来の教室」という社会システム
「未来の教室」という社会システム

 その実現の鍵を握るEdTechについても、現在では動画配信やAI・ビッグデータの活用などが目立つが、今後の可能性として「学習者自身の状況を把握する」「プロジェクト学習と教科学習を接続するようなSTEAM教育」などについても期待されている。また指導者が学習者の興味・関心・特性を発見し育む際にも、将来的にはEdTechが人間の知能では不可能だった部分についても把握・調整できる可能性がある。当然ながら、プロジェクト学習と教科学習の接続性や、教室における個別と協働それぞれの学習についても検討する余地がある。

 今後、これらを踏まえて第5回となるワークショップで中・高・大学生を中心に議論を深め、取りまとめ案として提示する予定だという。

誰もが自由に生きるための力能と自由の相互承認の感性を身につける

 続いて、熊本大学教育学部准教授の苫野一徳氏が「ここまで議論したことを改めて土台の部分から振り返っていただきたい」と目的について述べ、「公教育の『本質』から未来の教育を構想する」と題してプレゼンテーションを行った。

 苫野氏は熊本大学の教育学部で教壇に立ち、哲学者・教育学者として学校教育のあり方について思索を深めてきた。その苫野氏が、教育の構想・実践において重要と語るのが「本質洞察」に基づいて「原理」を提示することだという。

 その意味について、苫野氏は「共通了解可能な『本質』『原理』が明示されなかった故にさまざまな『信念対立』が起きてしまう」と指摘。特に教育界では顕著であり、例えば「自由な学びが必要」「一定の制約が必要」というように、人それぞれの価値観から対立が起きてしまう。

 苫野氏によると、教育における際たる論点は「教育は誰のものか」ということに尽きるという。子どものためなのか、国のためなのか、社会のためなのか。それをひも解き、共通に持ちあえる原理として示すことが哲学の役割というわけだ。

 苫野氏は、著書においてそうした考察を行い、公教育について「各人の『自由』および社会における『自由の相互承認の教養=力能』を通じた実質化」と定義している。つまり「全ての子どもが『自由の相互承認』の感度を育むことを土台として、『自由』に、生きたいように生きるための力を育む」ということだ。

 「自由に生きる」といっても、自分だけの自由を追求すればいさかいが起き、自らの自由も失ってしまう。これを回避するには、相手もまた自由に生きたいと思っていることを承認することが必要だ。これを哲学では「自由の相互承認の原理」という。人類の長い戦争の歴史の中で「戦いを終わらせるために」ようやく250年前につかみ取った原理だ。それは互いが互いに対応に「自由な存在」であることを承認することだった。そして、それを基盤とするルールを用いた社会づくりが行われるようになってきたのである。

 その「自由の相互承認」の実質化の一つが「法」である。法では全ての市民が対等で自由な存在であることをルールとして保障している。しかし、それだけでは十分とはいえず、そのルールを用いて各人が自由になるための力、そして「自由の相互承認の感度」が育まれている必要がある。

 そしてもう一つが「公教育」であり、法によって保障された「自由」になるための力能を保障すること、そして「自由の相互承認」の感度を育むといった役割を担う。さらに一般福祉の原理に基づき、一部の人だけではなく、全ての人の自由の実質化に寄与する限りにおいて正当性を持つという。


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著者プロフィール

  • 伊藤 真美(イトウ マミ)

    エディター&ライター。児童書、雑誌や書籍、企業出版物、PRやプロモーションツールの制作などを経て独立。ライティング、コンテンツディレクションの他、広報PR・マーケティングのプランニングも行なう。

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