「かつての成功体験」では教育を考えられない時代が到来
昨今、教育の現場でもプログラミングをはじめとしたデジタルスキルが注目されるようになった。公教育では、急激なデジタル化に対してやや後ろ向きでネガティブな印象をもつ人も多いが、奈良県ではそれをいい意味で裏切るような、先進的な取り組みも始まっているという。そのキーパーソンの一人が奈良県立教育研究所の教科・情報研究部主幹である小﨑誠二氏だ。
冒頭より小﨑氏は「激変する社会情勢に合わせて教育も柔軟に変化する必要がある。もはや教育は国民それぞれが考えることであり、国や文科省だけが教育の方針を考える時代ではない。大人の価値観を子どもたちが凌駕し、先に進んでいくことも多くなってきた。大人だから子どもより先んじているということではなくなった今、大人も今まで以上の変化と成長を求められるようになるだろう」と訴えた。
確かに昔獲得した成功体験が今通じるかと言えば、世代間ギャップはもちろん、個人間でも通じなくなりつつある。「変化したものに合わせて変化する」というよりも、「変化し続けられるように変化する」という、大きなパラダイムシフトが求められている。小﨑氏曰く、教育基本法や学習指導要領が変わったのは、学校の固定化された教育システムが“白旗をあげたようなもの”と表現する。つまり、学校は学びのきっかけを作り、学び方を教えるところであって、教育は学校で完結するものではなく、生涯を通して必要とされるもの。大人とて完成品ではなく、学び続けることが必須というわけだ。
学びという観点からは、大人と子ども、先生と生徒、官と民といった線引きすらナンセンスになりつつある。
しかし、カオス状態では学ぶことはできない。標準化できる部分やきっかけづくりには「何でも利用する」という発想が妥当だろう。その典型がプログラミング教育だ。それはもちろんコードを打つことではない。何もないところから一から作り上げていくというより、「今あるもの」を活用して実現したいことを実現することが目的になる。
また、授業における先生と生徒のコミュニケーションの仕方も変化する。例えば、学校の授業における「1人1台端末」が実現することで、みんなの中から挙手で一部の意見を取り上げるというやり方ではなく、ICTツールを活用して全員の意見を一斉に把握し、授業を組み立てることなどが可能になっていく。
そこで教員が陥りやすいのが、「教えることを自分ですべて理解・習得しておかなければならない」と考えてしまうことだ。。QRコードやGoogle検索などで、子どもたちが直接ネットにアクセスして、バーチャルに体験し、学べることは山ほどある。しかし、先生は「先生が説明すること=教えること」と思うゆえ、すべてを取り入れようとしてパンクしてしまう。やりがいがあって楽しい仕事ではあるが、授業の他にも校務が山のようにあり、「本来子どもに向き合いたいのに向き合えないこと」が先生を疲弊させているといえるだろう。
「全国一律でルールを変更しようとしても簡単に実現できるわけではない。新しい教育にチャレンジしようとしている人たちは、最初からうまくいくとは限らない。その様子は、まるで、明治維新のように、最初に社会を変えようと志した人たちが、志半ばで夢を果たせなくても、後に続く人たちに思いが受け継がれて、新しい時代が切り拓られていく、そんなイメージに重なるのではないか」
そう小﨑氏は語り、なおも次のように続ける。
「インターネットが登場し、求められる能力が大きく変わった中で、『昔はこうだった』と体験を基準にするだけでは、社会がよりよくなっていくはずがない。経験豊かな大人だからこそ、さらに柔軟に学びながら変化していく必要があるのではないか」
小﨑氏が、その突破口として期待するのが「プログラミング教育」だという。プログラミング教育のあり方をみんなで考えていくプロセスで、これまでの教育の固定概念を突き崩し、新たな教育をイメージできるというのだ。