【ポイント1】指導者として願いをもつこと――ロボット教育に対する思い
世界には、FLL(FIRST LEGO League)やWRO(World Robot Olympiad)といった、10万人をこえる学生が挑む、世界規模の大きなロボットコンテストがあります。日本ではロボット教育やプログラミング教育の認知度はまだまだ低く、その実践例も乏しいのが実情です。
それゆえに、ロボコン世界大会でも日本チームは決して強くはありません。むしろ、東南アジアの学生の方が、精力的に取り組み、活躍しています。がんばる理由を尋ねると、彼らは「日本のような豊かな国になりたい」と口をそろえて答えます。果たしてこれでいいのか……日本の未来を考えたとき、複雑な心境にならざるを得ません。
少しでもその現状を打開しようと、私は15年以上、ロボット教育やプログラミング教育の普及・啓発に取り組み、世界の第一線にも触れてきました。そして、教え子たちは、ロボコン世界大会において、数々の表彰を受けてきました。それ以上に、教育者として、その教育的効果と子どもたちの成長を目の当たりにしてきました。
本稿が、これからプログラミング教育の授業実践やロボコンの指導の一助になり、より多くの子どもたちが、ロボットやプログラムをつくり、ロボットコンテストに挑戦する機会につながればと願っています。そして、かつて科学技術立国と言われた日本の技術が、再び世界から注目される発展を遂げることを期待してやみません。
【ポイント2】出逢いやチャンスを大切にすること――火星探査ロボットをつくろう!
私がロボット教育を始めたきっかけは特殊かもしれません。そもそもロボットをつくることが目的ではないからです。30年以上前に起きた、スペースシャトル・チャレンジャーの事故をご存じでしょうか? その事故で亡くなった1人、マコーリフ宇宙飛行士は教師でもありました。2002年、NASAは彼女の偉業をたたえて、教育基金を設立しました。基金の目的は、宇宙の素晴らしさを子どもたちに伝える教育プロジェクトの推進です。
そこで、米国の理科教師とともに知恵をしぼり、火星探査をテーマにした日米の国際プロジェクトを企画しました。火星探査機の製作において、NASAの技術者も最初はレゴを使ってデザインを考えると聞いたことから、レゴのロボットキット(レゴ マインドストーム)を使った探査機のモデル製作にも手を広げました。火星環境のデータを調べ、火星のジオラマをつくったり、その環境に対応できる火星探査ロボットを考えたりしました。特に火星探査機のモデルについては、いかなる悪路にも対応できるように、車輪を使う方法だけではなく、キャタピラを用いたヘビ型や、8本の足を用いた虫型……そこには、常に目を輝かせながら製作する生徒の姿がありました。
さらに火星探査機の製作が進むと、障害物を自動的に避けるよう、プログラム制御にも着手しました。「つくる」という活動は、生徒の脳をかき立てました。単に手先の器用さの技術力やコンピュータスキルの育成だけに終わらない、想像をこえる「創る」学びが展開できたことを実感しました。そして、出逢いやちょっとしたチャンスを大切にすることで、可能性が広がることを身をもって認識しました。
【ポイント3】勇気をもって挑戦すること――世界の頂点で会おう!
2003年から2年間、火星探査プロジェクトを展開し、国内外から大きな評価を得ました。そして、火星探査プロジェクトに携わった日米の生徒同士を会わせる機会をつくりたい、また彼らが培った能力を生かすことはできないかと思案し、世界規模のロボコンへの挑戦が始まりました。「世界の頂点で会おう」と。
FLLロボコンは、30万人の小中高生が参加する世界最大のロボット大会です。2005年、その挑戦が始まりました。FLLでは、ロボット競技に加えて、設定されたテーマについての研究発表も審査の対象になります。ロボット技術と研究発表、まさに2年間火星探査プロジェクトで培ってきた能力を発揮する絶好の機会でした。
生徒たちは、全国大会を勝ち上がり、初挑戦にもかかわらずオランダでの世界大会の代表権をつかむことができました。求められるタスクは質・量ともに過酷なものでしたが、それに挑む生徒の目はイキイキとしていました。結果、世界大会で、ロボットデザイン部門、プログラミング部門でタイトルを獲得する快挙を成し遂げ、日本チームとして初めてのトロフィーを持ち帰ることができました。残念ながら米国チームが国内予選を勝ち上がれず、「会う」という夢は実現されませんでしたが、2006年以降も、6度日本代表に選抜され、数々の世界タイトルを獲得する躍進を遂げています。