大学存続の危機感と公立大学への移行
高知工科大学は、1997年創設の私立大学として開学した。当初は公設民営方式を採用したが、さまざまな要因で志願者が年々減少し、2006年には定員割れとなった。そこで2009年、生き残りをかけて公立大学法人として再出発した。私立大学の公立化は、同大学が全国初のケースである。まさに大学存続の危機感から、入試日程の変更や地元高校との連携などさまざまな施策が実施された。
それが奏功して2009年度入学者からは定員割れを解消し、以降は安定した大学運営を行っている。その後も高知工科大学では、さまざまな改革を断行してきた。その結果、「THE(Times Higher Education)世界大学ランキング2023」の研究分野で日本の公立大学4位[※1]、「THE学際科学ランキング2025」で日本の公立大学2位[※2]にランクイン。また、日本経済新聞社などによる「企業の人事担当者から見た大学イメージ調査」(2023年実施)では、「採用を増やしたい大学」全国2位に選ばれる[※3]など、着実に成果を上げている。
そして2024年、「データ&イノベーション学群」を新設し、本格的なデジタル教育に乗り出した。同年4月に約60名の新入生を迎え、2026年からは高知市の中心部にある永国寺キャンパスに建設中の新棟へ移転を予定している。順風満帆に見える同学群だが、「本学群の設立にはさまざまな障壁があり、やっとここまでたどり着いたという思いです。安堵するとともに、今後の課題も山積しており、まだ道半ばです」と古澤教授は言う。その背景にあるストーリーを詳しく伺った。
データ&イノベーション学群設立の経緯と苦労
新学群の検討は、2017年から始まった。当初は「社会イノベーション学群」を構想したが、県庁をはじめとする関係機関の理解を得られず、2018年には計画がいったん頓挫した。しかし、それに臆することなく、2019年からは社会全体のデジタル化の波に乗る形で、「データ&イノベーション学部」の検討が再開された。当時、これらの論議を主導したのは官民出身の旧副学長2名だった。
しかし、同大学が公立化以降に進めてきた、アカデミアにおけるランキング向上を重視した改革と並行して、ビジネス重視の教育改革をスタートすることについては、学内の理解を得るのは容易ではなかった。これは、私立時代に掲げていた実践重視の教育に対して、今なお残る厳しい評価が影響しているためである。「本学も『大学の生き残りをかけて、何かやらなくては』との改革意識は常に強く持っていますが、その手法についてはさまざまな意見があり、足並みをそろえるのは容易ではなかったですし、今後もそうでしょう」と古澤教授は語る。
当時、教育センター長の立場にあった古澤教授は、企画段階からメンバーとして参加し、学群の開設に向けて尽力していた。数年にわたる関係者の努力が実を結び、2023年には新学群の開設予定段階に至った。ところが、その直前には思いもよらぬ事態が発生していた。2021年6月の県議会において、高知県知事が新学群の構想について「いったん白紙に戻す」と表明したのだ。まさに青天の霹靂とも言える「鶴の一声」であった。それからの1年間、県庁に検討委員会が設置され、審議が進むなか、古澤教授は旧副学長をサポートする形で、県内のさまざまなステークホルダーへの説明に尽力し、新学群設立に向けた合意形成に努めた。
そして2024年4月、当初より1年遅れで、データ&イノベーション学群が満を持して設立された。一般選抜の入試では高い倍率を維持しているという。学群開設までには、検討開始から実に7年もの歳月が流れていた。長い道のりであったが、古澤教授をはじめ関係者の安堵は、想像に難くない。
[※1]高知工科大学「THE世界大学ランキング2023世界版にランクイン」
[※2]高知工科大学「「THE学際的科学ランキング2025」にランクイン、国内公立2位」
[※3]高知工科大学「採用を増やしたい大学ランキングで全国2位に選ばれました」