「ABLE」とは?
「ABLE」は2012年から続く、教育にイノべーションを起こすためのコミュニティだ。主催のABLE事務局を率いるのは慶應義塾大学環境情報学部で認知心理学などを専門に研究している今井むつみ教授。
認知科学には日常の意思決定に役立つ知見があるにもかかわらず、アカデミックな領域で当たり前に語られていることが、一般社会には浸透していないというギャップがある。認知科学者がどのようにエビデンスを解釈し、どのような批判的思考をするのかということをシェアし、社会生活の中で日常の選択や意思決定に役立ててほしいとの趣旨で「ABLE」は開催されている。
「大量にあふれる情報の中から、一番信じられる情報に目をつけて、自分で批判的に解釈して意思決定ができるということは、今の時代を生き抜く一番大事な力です」(今井教授)との言葉通り、批判的思考で情報を取捨選択する力は、インターネットで大量な情報に接するのが当たり前の現在、ますます強く求められている。教育現場でも、昨今はプログラミング教育が注目されがちだが、実は情報活用能力はそれ以前から重要視され続けている。
「ABLE」はレクチャーとディスカッションで構成される。今回は、いずれも認知科学者のスイス連邦工科大学 エルスベス=スターン教授とスイス連邦工科大学 MINT-学習センター ラルフ=シュマッハー所長がゲストとしてレクチャーを行った。2人は、スイスのSTEM教育にあたる「MINT(Mathematics, Information sciences, Natural sciences, and Technology)」のカリキュラムデザインでも知られる。レクチャー後は、独立行政法人日本学術振興会顧問、文部科学省参与の安西祐一郎氏と今井教授によるトークディスカッション、さらにオープンなディスカッションタイムが続いた。
レクチャー部分は、エルスベス=スターン教授とラルフ=シュマッハー所長がひとつの流れで交互に登壇し、今井教授が逐次通訳を兼ねて解説を加えていくスタイルで進んだ。以下、本レポートではレクチャー部分を紹介する。
認知科学の考える、人間の脳の特徴
まず、認知科学における人間の脳と学習の考え方が示された。人間の脳というのは、生まれた時から空っぽの入れ物のような状態ではなく、「コア知識」と呼ばれる非常にプリミティブな学習の概念を持っている。初めから準備ができているおかげで、その後、物理的、社会的な世界の基本原則を容易に学ぶことができると考えられている。
人間の大きな特徴は、言語と際立った短期記憶(Working Memory)によって、その「コア知識」と複雑な知識体系を結びつけることができることだ。つまり学習に優れていて、教育によって直感的には把握できない文化に根差した知識の獲得を重ねることができる。
脳科学でわかったこととそこから派生する飛躍した解釈
一方脳科学はfMRIによる測定技術により、脳のどの部分が活性化しているか判断する画像研究が進んできた。特に「数」の課題は脳が特徴的な活動をしやすく、例えば、2桁のかけ算をする際に左の「角回」と呼ばれるエリアが活発化することなどが明らかにされた。
ここまでは、脳科学的に示されたわけだが、ここからが問題だ。脳科学者がこの結果を用いて教育分野に助言をしてしまいがちなのだという。「◯◯ができないのは脳のこの部分が弱い『から』だ」と説明し、さらに、「脳のこのエリアを刺激して活発化させれば◯◯ができるようになる」と言ってしまう。「これは無謀で危険な提言です」とスターン教授は語り、先生や教育行政、ジャーナリストがそうした発言に乗ってしまいやすいことを問題視した。
「脳のどこが活発に動くかといった、脳の働きがわかったからといって、脳科学者が教育をどう改善したらいいか、というアドバイスをできるでしょうか? それはできません」とスターン教授は強調する。