知識を点から面へと拡張する「アブダクション推論」
教師や大人が示せるのは、いわば「点」としての事例に過ぎない。例えば「ウサギ」という概念を教える際、大人ができるのは実際にウサギを指さして「これがウサギだよ」と示すことだけだ。しかし、子どもが「ウサギ」という言葉を使えるようになるためには、目の前のウサギだけでなく、色や大きさの異なる多種多様なウサギにも適用できるよう、自ら「点」を「面」に拡張する推論していかなければならない。
この「点を面に拡張する」推論を、今井氏は人間特有の思考プロセスの「アブダクション推論」だと説明する。人間は実社会でのさまざまな経験を通して、物事の仕組みや法則、パターンを自分なりに見つけ出し、言葉では説明しにくい感覚的な知識を身につけていく。この暗黙の知識(スキーム)を通して推論を行っていくのだが、その際、人間が誰しも持っている思考の偏り、すなわち「思考のバイアス」によって、誤って推論してしまうことがしばしばあるという。
今井氏は「人間は思考バイアスの塊だが、このバイアスがあるからこそ、学習が可能になる」とも説明する。「キリンは首が長い」という事実から「高いところの葉を食べるために首が長くなった」と逆向きの因果関係を推論する「対称性バイアス」を例に挙げ、「論理的には間違っているが、このバイアスがないと言語が習得できない」として、バイアスを持たないチンパンジーの実験を紹介した。

ほかにも「自分の常識の過剰一般化バイアス」では、ゲージに入った動物の中から、幼児がウサギに似たハムスターをウサギと認識してしまう例を挙げた。しかし、このバイアスによってカテゴリーと呼ばれる概念を理解していくことができるため、人間にとっては重要なものであるという。
教育の目標は「自走できる学び手」
今井氏は「アブダクション推論によって間違うことはよくないことなのか」と参加者に問いかけたうえで「そうは思わない」とし、学校現場では「子どもを間違わせないように」といった配慮が過剰に働いていると警鐘を鳴らす。
さらに「間違うことは悪いことではない。むしろ、アブダクション推論をして間違うことは、学びにとって非常に大事なプロセスになる。もっと大事なのは、その間違いを修正する力だが、その力は、そもそも間違わなければ経験できないし、訓練もできない」と説明。
また、精度の高いアブダクション推論をするには、よいスキーマを持つ、すなわちスキーマも修正していくことが重要だという。しかし今井氏は「自分でつくったスキーマは、他者から言われて修正できるものではない」とも指摘する。

では、どうすればスキーマを修正していけるのか。今井氏によると、学び手が自分の間違いに自分で気づいて納得するしか、間違ったスキーマを修正する手だてはないという。「生きた知識を自分で育て、自走できる。アブダクション推論を恐れずに行い、たとえ間違っても、その間違いに自ら気づき、修正できる。そのような学び手を育てることが、教育の目標になるべきではないか」と、今井氏は強く参加者に伝えた。