会場から多数の質問が寄せられたパネルディスカッション
パネルディスカッションは、Scratchの開発者であるMIT メディアラボのミッチェル・レズニック教授と、慶應義塾大学 環境情報学部 大学院政策・メディア研究科委員長の村井純教授を迎え、一般社団法人未踏 プログラミング教育WG/未踏ジュニア代表の鵜飼佑氏がモデレーターを務めた。
パネルディスカッションに先立って講演した村井教授は、初期インターネットの多言語化や、日本のインターネット網の整備、普及を牽引したことで知られる。講演の中で村井教授は現在を「インターネット文明」と位置づけ、「国や地域の壁がなく一人ひとりのコミュニティが連結して、人類の未来、地球の未来を創っていく社会」とし、「これからのゴールは一人の力で解決できるものではなく、子どもたちが、他の人と力を合わせてどんなクリエイティブなゴールを成就できるかということが大切になる。そこに大きな期待を持っている」と語った。
ディスカッションは主に会場からの質問に答える形で進められたが、直接パネリストの意見を聞けるとあって質問が相次ぎ、すべては受けきれないほどだった。
まず、鵜飼氏がレズニック教授に尋ねたScratch 3.0のポイントを機能面で整理しておこう。最も基本的なこととして、現行のScratchはパソコンのWebブラウザでしか使えないが、3.0ではタブレット端末といったモバイル系の環境に対応した。同時に、全体の構造をモジュール型にすることで、さまざまな拡張機能を追加しやすくなったという。拡張機能の一例であるmicro:bitのプログラミングについては、前回のレポートで紹介した通りだ。
オープンなコミュニティを重視するカルチャー
Scratchが開発当初から重視していることのひとつに、コミュニティがある。Scratch上で公開されている作品に互いにコメントをつけ、「お気に入り」や「好き」を伝えられる。また、公開されたプロジェクトは「リミックス」といって、他の誰かが編集しアレンジすることが認められている。レズニック教授の著書には子どもたちがオンライン上で分業して作品をつくる例も紹介されており、非常に重視されている側面だ。
会場からは、次期バージョンに「盛り込めなかった機能」を尋ねる質問が出たのだが、ここから、むしろScratchのコミュニティに対する設計思想が見えてきた。
次期バージョンに盛り込まなかった機能としてまずレズニック教授があげたのは、「複数メンバーでプロジェクトをリアルタイム編集できるようにすること」だ。Google ドキュメントのような同時編集機能が検討されたそうだが、これは見送られた。その理由のひとつは、他の人の目に触れないプライベートなコミュニケーションを避けるためだという。Scratchでは、子どもたちの安全とセキュリティを考えて、すべてのコミュニケーションを公開状態にしてあるのだが、同時編集機能があるとプライベートなやりとりに近いことが起きてしまう。より安全なコミュニティ運営のために盛り込まない選択をしたのだ。
また、子どもたちからの要望として、「自分の作品をリミックスされたくない」という声がとても多いそうだ。自分のコードを他人に見られたりコピーされたりするのが嫌だ、という感覚だ。それらの声には3.0でも対応しないのだが、ここにも理由がある。
「公開されたプロジェクトはすべてクリエイティブ・コモンズのライセンスでカバーされることになっています。子どもたちに『どうやってオープンソースのコミュニティの一員となるか』ということを教えたいからです。教育の場でコミュニティについて教えるのに、作品を個人にとどめるのはふさわしくありません」(レズニック教授)
この説明は実に具体的でわかりやすい。これからの子ども達に必要な力が話題になると、「協業(コラボレーション)」がキーワードになることが多いが、実はこれが大人にとって具体的にイメージしづらい項目なのではないかと思うのだ。個人で能力を高め、技術やノウハウは囲い込んで他人と戦うといった教育を受けてきた世代の大人には最も実感としてわかりにくい感覚だろう。子どもの頃からオープンソースコミュニティの中で作品づくりをすることは、頭で理解して入っていくのは難しい「協業」という世界を体感するのにぴったりだ。
すべての人が使えるようにする中で
ただし、このコミュニティにも課題がある。Scratch自体は多言語展開されていてユーザーの半分以上がアメリカ以外。トップ10には中国や日本、スペインなど英語圏以外の国が含まれているにもかかわらず、書き込まれているコメントは圧倒的に英語ばかりなのだそうだ。これについて、「英語以外の言語でコメントすることを控えているのでは」とレズニック教授は推測している。
現在は、Scratch上で作品を検索すると世界中同じ基準でプロジェクトが表示されるようになっているが、これにあえてバイアスをかけて、例えば日本の子どもが検索した際は日本のプロジェクトが表示されやすいようにする計画があるという。この方が、日本語でコメントをつけやすくなりコミュニティが活性化するのではないかという考えからだ。ただ、本来は言語や地理、文化などでコミュニティをセグメント化するのを避けたいと思っているので、この試みはトレードオフであり、「良い選択なのかどうかはまだわかりません」とレズニック教授は説明した。
言語も国も経済状態も性別も関係なく、あらゆるバックグラウンドの人にとってScratchがアクセス可能で魅力的であろうとする中で、すべてを同時にかなえることは難しく、常に優先順位を考え試行錯誤しているということがわかる事例だった。