【開会宣言】生成AIがもたらす教育の変革と学修成果への期待
教育現場のデジタル変革と創造的な学びを推進する、アドビの教育イベント「Adobe Education Forum 2025」。13回目となる今年のテーマは「生成AI時代のトランスファラブルスキル育成の視点」で、デジタルリテラシーや生成AI活用を核に、教育現場のデジタルトランスフォーメーション(DX)推進を目指すイベントとして開催された。
開会にあたり、アドビ教育事業本部執行役員本部長の小池晴子氏が登壇し、日本で唯一、国立大学として「Adobe Creative Campus」に加盟する北海道大学での開催に感謝を述べ、「生成AIの活用が当たり前になる中で、高等教育において生成AIがどのような教育活動に最適なのか、学生の学修成果にどのように結び付けていくのがよいかについて、国内外のさまざまな視点から意見・情報交換をしていきたい」と、本フォーラムへの期待を語った。

続いて、北海道大学理事・副学長の山本文彦氏が「HU Vision 2030 Excellence and Extension」と題したウエルカムスピーチを行った。山本氏は、同大学が策定した「HU Vision 2030」における「Excellence(卓越性)」と、「Extension(社会展開力)」の2つの軸に言及。「これからExtensionを考える上で、生成AIやデジタルリテラシーは必須」と強調し、新しいデジタルリテラシーを基礎としたトランスファラブルスキル養成の教育プログラムを全学生に向けて推進していくという、同学の方針を伝えた。

【講演】「トランスファラブルスキル」とは何か? 北海道大学の事例を紹介
基調講演では、北海道大学 情報基盤センター 教授の重田勝介氏が、「課題解決型人材のトランスファラブルスキルとは? デジタルで創ることを通して学ぶ意義」と題して講演を行った。重田氏は、教育工学の専門家として教育へのテクノロジー導入と効率的な教育実践の研究に長年従事し、北海道大学におけるDXを推進するほか、教材や授業の開発も行っている。本講演では、これからの社会で求められる「トランスファラブルスキル」および「デジタルリテラシー」の重要性と、それらをアドビが提供する「Adobe Express」をはじめとしたデジタルツールを活用して育成する方法について、同学の具体的な取り組みを交えながら解説した。

重田氏はまず、トランスファラブルスキルの定義とその重要性を整理した。トランスファラブルスキルとは、知識やスキルを異なる文脈や状況に「転移」させて活用できる汎用的な能力を指す。具体的には、学んだことを別の場所や時間で活用する「近い転移」と、特定の分野で得た経験が新しい課題解決を容易にする「遠い転移」がある。
重田氏によると、トランスファラブルスキルが高等教育で注目される理由は3つあるという。
第1に、学生が卒業後に職場で新たな課題に適応するなど、未来への適応力のために育成すべきであること。
第2に、環境問題やAIといった学問領域を超えた課題解決には、単一分野では解決できない問題に取り組む能力が不可欠であること。
第3に、就職後のキャリア変化に対応する観点から、主体的に目標を設定し成長する能力が現代の労働市場において極めて重要であること。
なお、OECDの報告書や文部科学省の「知の総和答申」でも、こうした汎用的な能力育成の必要性が指摘されている。

さらに重田氏は、トランスファラブルスキルを支える基盤として、教養知としての「デジタルリテラシー」の重要性を強調した。これは、膨大な情報から必要なものを選択・応用する能力や、生成AIをはじめとする技術変化への対応力、そして職業能力の向上につながるものである。
重田氏は「デジタルで創ることの意味」、すなわち「制作型授業」を通して、トランスファラブルスキルやデジタルリテラシーを育むアプローチを紹介。構成主義的な学習観や経験学習理論に基づき、学生が深く関わりながら学ぶことで、より深い学びと「メタ認知」の支援につながると説明した。
例えば、北海道大学で重田氏が担当する初年次の科目「デジタルリテラシー入門」では、学生が自身の興味に基づいた情報社会に関する教材をAdobe Expressを用いて制作し、ピアレビューを通して改善していく。このプロセスを通じて、学生は情報収集・分析、コンテンツ構成、表現といったスキルを習得し、自己表現の場としても活用している。これにより、学生は教えるほどに内容を深く理解し、多様なデジタルリテラシー事例に触れることで、学習動機と創造性が高まるという。
一方で、重田氏はLLM(Large Language Models、大規模言語モデル)を使ったレポート執筆実験の例を挙げ、AI利用によるインプットの減少や、自身の成果物へのオーナーシップの希薄化といったデメリットも指摘しつつ、「大学教育の中で生成AIをまったく使わないということは、ありえない」と強調した。その上で、学生へ単に知識を与えるだけでなく、倫理的課題を踏まえた利用経験を積み、創造性を促す形でAIを活用する重要性を語った。
さらに重田氏は、大学が育てる学生の能力と社会が求めるスキルとの間に存在する「ギャップ」を挙げ、「学部教育でデジタルリテラシーを教養知として、大学院教育で遠い転移を促すトランスファラブルスキルを育成することで、企業組織と研究組織の双方で活躍できる人材を輩出できる」と述べた。このような教育を支えるためには、学生が学習目的でデジタル技術を共通して使える環境が不可欠であり、アドビが提供するような包括的なツール導入のメリットは大きいとまとめた。
北海道大学における新たな学びの拠点「Digital Creative Grids」
北海道大学は、アドビ製品の包括ライセンス契約を2014年に日本の国立大学で初めて締結するなど、デジタル教育に長年取り組んでいる。そして2024年10月には、世界的なコンソーシアムであり、学生のクリエイティブなデジタルスキルの育成に注力する大学で構成される「Adobe Creative Campus」に加盟し、Adobe Expressを全学で導入した。
さらに2025年5月8日には、構内の北図書館内に新たな学びの拠点「Digital Creative Grids(デジタル・クリエイティブ・グリッズ、以下Grids)」を開設。Gridsは、北海道大学オープンエデュケーションセンターの教育研究から生まれた、デジタルツールを活用した創造的な学びのための知識共有プラットフォームであり、創造性を育み、デジタルリテラシーを育成することを目的としている。重田氏は「教員同士が教育実践を共有し、新しい学びの形が試行錯誤を経て発明されることを期待するオープンアトリエ」でもあると話す。

Gridsは、世界の大学の事例を収集・分析し、北海道大学に適した教育方法を開発する「研究開発」、セミナーやワークショップをはじめとした「教育実践」、ここから生まれた教材や教育手法の普及や、国内・国外の教育機関との協働を通じて教育開発を行う「社会的実装」の3本の柱で活動を展開していく。
そしてオープンアトリエとして学生が自由に創作し、失敗を恐れずに挑戦できる場であり、「つくることと学ぶことが交差する開かれた場」を目指す。学生・教職員を対象としたセミナーやワークショップでは、アドビのクリエイティブツールや生成AIを用いた最新技術を取り入れた内容を提供するほか、「Adobe Creative Cloud」を利用できる専用端末やBYOD対応の無線LANが整備されており、スタッフがサポートも行う。

Gridsは開設から約2カ月で、部活動などでアドビのツールを使用している学生を中心に「わからないときに教えてもらえる場」として好評を得ているという。「これまでなんとなくツールを使っていた状態から、『もっと知りたい』という学生の潜在的な学習意欲が引き出されている」と重田氏。将来的には、国内の高等教育におけるデジタルリテラシー教育のハブとなることを目指しているという。
事例紹介からハンズオンワークショップまで! 大学発デジタル教育の実践と成果
本フォーラムでは半日にわたって、講演からワークショップ、パネルディスカッション、参加者による交流会までと、充実した内容が展開された。その一部を紹介する。
【講演】立命館大学「デジタルツールを活用したマルチモーダルな学びと創発性人材育成」
立命館大学の副学長である三宅雅人氏は、「デジタルツールを活用したマルチモーダルな学びと創発性人材育成」と題し、同大学の多角的なアプローチを紹介した。

立命館大学は2024年4月、日本の教育機関として初めてAdobe Creative Campusへ加盟し、学生だけでなく、教職員、卒業生、さらには小中高生までがアドビのツールをさまざまな形で活用する「全方位的な活動」を展開している。具体的には、企業の課題解決においてAdobe Expressでアイデアを具現化する事例や、小学生がAdobe Expressで動画編集を行い、教える側の大学生のコミュニケーション能力も向上した事例などが紹介された。三宅氏は、このような多様な挑戦の場を大学が提供することで学びが加速し、「創発性人材」の育成につながることを強調した。

東京電機大学と筑波大学に見る大学の実践事例
大学における実践事例として、東京電機大学と筑波大学の取り組みも紹介された。
東京電機大学 システムデザイン工学部 教授の宍戸真氏は、理工系学生向けの英語教育におけるAdobe Expressの活用事例を報告した。

理工系学生の多くは英語学習へのモチベーションが必ずしも高くなく、提出課題の文章量が極端に少ないことや、AIや自動翻訳の利用による表現力の狭まりが課題であった。そこで、Adobe Expressを活用し、発想、構成、表現、視覚化といったプロセスを重視するアプローチを導入。学生が生成AIで画像をつくり、そこに解説となる英文をつけるという課題にすることで、約80%の学生が「英語の理解に役立った」と評価し、90%が「クリエイティブである」と回答。その有用性が認められたという。

筑波大学医学医療系 特任助教の吉原雅大氏は、医学類学生を対象とした社会課題解決ワークショップでの活用実践を紹介した。

慢性腎臓病の認知アップや早期啓発をテーマに、Adobe Expressを用いてスライドや動画を作成した課題では、「課題解決に向けた考え方を学べた」といった声が上がり、学生から高い満足度が得られたという。吉原氏は「Adobe Expressは学習者の自己効力感を高め、学生間のコミュニケーションを円滑にし、フィードバックを促進する」と実践の効果を伝えた。さらに、「対象となる学習内容の深化だけでなく、コミュニケーションを通じてトランスファラブルスキルの育成にもつながる」とした。

グローバルな視点から見るアドビの教育ソリューション
アドビのグローバル担当者からは、AI時代の教育における同社の取り組みとツールの可能性が語られた。アドビ グローバル教育ストラテジー部門ディレクターのセバスチャン・ディステファーノ氏は、世界で約100の高等教育機関が加盟するAdobe Creative Campusについて、現在までに日本でも3つの大学(立命館大学・北海道大学・東京電機大学)が加わっていることを紹介。このコンソーシアムは、学生の学習エンゲージメントを高め、デジタルリテラシーと創造性を統合することで、卒業後の実社会で活躍するために必要な、スキル育成に向けて教育カリキュラムの革新を続ける大学の集団であり、アドビはその支援に引き続き力を入れていくと語った。

同部門の所属で、ジャーナリストや大学教員としての経歴を持つマニュエラ・フランチェスキーニ氏は、アドビの「教育における創造性とAIについての調査レポート」を紹介するとともに、創造性や批判的思考、共感、倫理的推論といった人間独自の「ヒューマニクス」の重要性を挙げた。諸外国におけるAdobe Expressを活用した授業実践での学生の変化を例に、創造性やコラボレーションなどのスキルとデジタルツールを組み合わせた「デジタルストーリーテリング」が、「転移可能なスキル」の育成に有効な手段であると説明した。

さらに、アドビ 教育プロダクト部門 ディレクターのチトゥラ・ミッタ氏は「Adobe Acrobat AIアシスタント」の活用事例を紹介した。情報過多の課題に直面する学生に対し、Acrobat AIアシスタントが文書の要約や複雑な語彙の簡素化、質問応答を通じて理解を深め、学修効率を高めることができると説明。また特に、アドビのAIモデルの学習データの安全性と信頼性について、AIアシスタントの利用に用いたユーザーのドキュメントが、AIモデルの学習データに利用されることはないこと、要約などのドキュメント内での出典元が明確に示されることなどを強調し、教育現場での安心安全な利用に勧める理由を述べた。

【ハンズオンワークショップ】画像生成AI&Acrobat AIアシスタント
本フォーラムではAdobe Expressと、「Adobe Firefly」を活用した画像生成AI、Adobe Acrobat AIアシスタントを体験するハンズオンワークショップも開催された。参加者はAdobe Expressのテンプレートを活用し、Adobe Fireflyを用いて自身の自己紹介カードを作成した。また、Acrobat AIアシスタントを使ったデモンストレーションでは、スピーディーな文章要約や小テストの作成などが披露された。ワークショップに参加した大学教員は「Acrobat AIアシスタントの要約機能に感動した。膨大な資料を読む際の読み飛ばしを防止できるほか、学生の指導において正解を確かめる上でも非常に役立つ」と期待を語った。


【パネルディスカッション】多様なアプローチで挑むAI時代の人材育成と実践
最終セッションはフォーラムタイトルでもある「生成AI時代のトランスファラブルスキル育成の視点」をテーマに、パネルディスカッションが開催された。北海道大学の重田勝介氏と学校法人立命館 理事の山下範久氏、アドビのセバスチャン・ディステファーノ氏が登壇し、アドビの小池晴子氏がモデレーターを務め、参加者からの質問に答えるとともに、フォーラムの振り返りを行った。

重田氏は、情報リテラシーやAIリテラシーの学部共通教育についての質問に対し、デジタルリテラシーの全体コンピテンシーリストが「地図」となり、大学の教養として全般に習得すべきものであると語った。そのうえで「デジタルクリエイティブな活動で身につく『表現を振り返り、修正するスキル』こそ、生成AI時代に必要不可欠な汎用的スキルである。教員は、学生が自分の創作物に対して他者からのフィードバックを得て、その表現の効果をメタ的に理解する経験を促すことが重要である」と述べた。

山下氏は、大学ごとの文化やアプローチの多様性を指摘し、北海道大学の着実な取り組みと立命館大学の試行錯誤によるアジャイル展開を対比した。さらに、学びの協働性が、AIをはじめとした「人間ではないもの(ノンヒューマンなエージェンシー)」との協働へと広がり、より本質的な学びにつながると語った。ディステファーノ氏も「AIの影響を無視することはできない、『トランスファラブルスキル』『トランスファラブルラーニング(転移可能な学習)』が普遍的かつグローバルな教育で重要である」と強く訴えた。

大学におけるデジタルツールの導入について、重田氏は「各大学の個性や歴史といった得意分野から、草の根的に短期的なプログラムを導入していくことから始めるとよい」とアドバイス。山下氏は、組織の変化への抵抗を考慮し、新しい取り組みを担う部署や、ゼロから始める「特区」となる場所で先行して成功事例を創出することが、波及効果を生むと助言した。
「使うツールはアドビ製品でなければならないのか」という質問に対しては、講演に登壇した立命館大学の三宅氏が回答。「教育と社会の変革期において、表現の方法やアウトプットが固定されていないからこそ、変化に柔軟に対応し、共に考えてくれるパートナー」として、ツールにとどまらないアドビの存在意義を語った。加えて、重田氏はツール面においても「Adobe Fireflyは、エシカルな出力や著作権への配慮において信頼を置くことができ、教育にも適切な増幅ツールである」と補足した。
総括として、山下氏は「生成AIの登場により、学修者のエージェンシー(主体性)の捉え方が変化し、AIとの協働を通じてメタ認知が深まっていくだろう」と語った。また重田氏は「生成AIとの対話を通して、自分が何をしたいか、何を学んだかを明確に伝えられる『主観性をもって主体的に学ぶ力』が、AI時代のトランスファラブルスキルである」と述べた。最後にディステファーノ氏が「教育においてAIの活用を無視することはもはや不可能」と指摘し、学生たちが日常的にAIを利用する現状において、教育現場もAIを統合して新しい学びの形を追求していくことの重要性が改めて確認された。
フォーラムから見えた可能性「デジタルが触媒となる学び」へ
今回のAdobe Education Forum 2025では、高等教育機関が生成AI時代において、デジタル技術を単なるツールとしてではなく、学びのプロセスそのものを変革し、予測不可能な未来を生き抜くための「トランスファラブルスキル」を育成する触媒として捉えることの重要性が改めて強調された。このイベントをきっかけに、人間とAIが共創する新たな学びが進んでいくことを期待したい。