パネルディスカッション「子どものデータは誰のもの?」
続いて行われたパネルディスカッションには、松本氏、薩摩氏、堀口氏に加え、杉並区元教育長の井出隆安氏、文部科学省 総合教育政策局 教育人材政策課 課長の後藤教至氏が登壇し、意見交換がなされた。
松本氏は「子どものデータの所有や利用に関する問題は複雑であり、データの取得方法や同意、管理者の責任が十分に議論されていない」と指摘。教育現場の負担や教師の能力に課題がある中、データ活用の具体的な体制構築が必要であること、個別最適な学びが偏差値中心の社会構造に適合するのか疑問視されていることなどを挙げ、「データの利活用が子どもたちの未来にどのような影響を与えるのか、再検討する必要がある」と語る。
井出氏は「堀口先生の講演から、学力データが個人のものであるかどうか、その管理や所有のあり方が議論されるべきと指摘された。また、松本先生の報告から、AIが授業準備を担う可能性が示唆され、授業準備には教材選びや評価計画といった深い知見が必要であり、AIにすべてを任せることへの懸念も示されていた。AIは優れた授業準備ができる一方で、教師の役割が媒介者に限定される恐れがある。これらは教育現場での重要な課題だ」と懸念を示した。

後藤氏は「議論が進めば、AIの得意不得意や馴染む部分が見えてくるはず。その前に、子どものデータ活用のルールづくりが必要と感じている」と評し、「AIが得意とするデータ収集や分析の活用は有益である一方、教育現場における教師の役割には人間性が不可欠であり、テクノロジーでは補いきれない部分がある。児童生徒の主体的・探究的な学びを支えるためには、教師が子どもの反応を読み取り、適切な働きかけを行う力が求められている。進化するAIとデータサイエンスをパートナーとして活用するためには、教育現場全体で能力向上の努力を続ける必要があると考えられる」と語った。

薩摩氏は「個人情報の取り扱いに関しては、学校現場が専門知識を備えることが課題であり、教職員自身も学び続ける必要がある。また、AIが授業準備を瞬時に行える可能性がある中で、指導の本質を理解せずに授業を行うことは可能かどうかという懸念がある。一方、AIにはできない役割として、子どもの感情をモチベートすることが教師に求められている。教育活動の質を向上させられるよう努力していきたい」と語った。
堀口氏は、特に天沼小学校での調査を受けて、「AIか人間かという区分だけでは不十分だ。少なくとも人間のほうは『人間』『教師』『うちの先生』の3つに分けて考えたほうがいい。AIと比較した場合、人間には『感情』と『経験』があり、それらが合わさって初めて『共感』をすることができる。また、教師には単なる人間とは異なり、教育に関する『専門性』がある。そして、自分自身が教わっている教師である『うちの先生』には、『信頼』や『愛着』が生じうる。天沼小学校では『うちの先生』に対する信頼や愛着が強かったからこそ、このような調査結果になったのだろう。反対に、嫌いな教師については、AIの方がいいという結果が出てくる可能性もある」と語った。
確かにAIが得意とする調査力は人間では太刀打ちできない。しかし、AIが出した答えにどれだけ人間の共感性や信頼感、愛着などが勝るかが鍵になる。どこまで人間の優位性として残るのかというわけだ。それは後藤氏が指摘する「AIに馴染む部分、そうでない部分」ということでもある。その結果、教師がどのような役割を果たすのか、議論すべき点と言えるだろう。また薩摩氏が懸念する「個人情報に関する学校の説明責任」について、堀口氏は「個人情報保護法やプライバシー保護に関する規律は複雑であり、その解釈・適用を教育現場に丸投げすることは適切でない。教育現場が対応を誤ることで『炎上事案』が発生すれば、教育データ利活用がストップするおそれもある。国が責任をもってガイドラインなどを示していくことが重要だ」と語った。
松本氏は「AIを使いこなすことが大切」と語り、AIが出した答えを評価したり、活用したりする能力が先生に求められるがゆえに、教師自身も成長する必要があることを指摘した。