平等が重視される日本、だが公正と平等は違う
インクルーシブ教育が注目される背景の1つが、特別な支援が必要な子どもの数が日本で増加していることがある。文部科学省初等中等教育局特別支援教育課が2020年2月に発表した資料によると、特別支援学校、小中学校における特別支援学級、通常の学級における指導を合わせた数は、10年前と比べると4.6%増加している(参考:文部科学省「特別支援教育行政の現状及び令和2年度事業説明」)。
そもそもインクルーシブ教育とは何か。文科省では、「インクルーシブ教育システムにおいては、同じ場でともに学ぶことを追求するとともに、個別の教育的ニーズのある幼児児童生徒に対して、自立と社会参加を見据えて、その時点で教育的ニーズに最も的確に応える指導を提供できる、多様で柔軟な仕組みを整備することが重要である」と記している。
教育学でPh.D.を取得し、臨床心理士、公認心理師でもある矢田氏は、「フィンランドのインクルーシブモデルは、障害理解のソーシャルモデルに基づく」と説明する。ソーシャルモデルとは、障害を機能障害と能力障害に分けて考え、障害を個人の権利と社会的公正の問題と捉えて、障害を顕在化させている環境に欠陥があると考えるアプローチだ。特に能力障害については、「環境や社会が、その人が何かができるようにサポートしていないために能力障害になっている状態と考える」という。
なお、障害理解はこのほか、伝統的モデル(超自然的な力により障害が起こったという文化的信念)、メディカルモデル(障害は個人内の欠陥と考え、問題や障害を克服・治療するというアプローチ)がある。ソーシャルモデルはメディカルモデルの発展したものと位置付けられ、矢田氏は、「医療の力を借りることも必要であるが、障害と共存する手だてや手段を見つけるという考え方がソーシャルモデル」だと説明した。
インクルーシブ教育でもう1つ重要な考え方が、合理的配慮だ。よく用いられる例が、身長の違う3人の子どもが壁の向こうで行われている野球の試合を見るという状況だ。公正さとは、全員が見ることができるようにそれぞれ必要な高さの踏み台が与えられている状態だ。なお、平等は同じ高さの踏み台を与えることなので、身長差はそのまま出てしまう。
このような「平等」と「公正」について、矢田氏は自身が日本にいるときに経験した、感覚過敏の生徒の例を挙げながら紹介した。この生徒は体操服の締め付けがつらく体操服が着られないため、体育に参加できずにいた(参加する権利の障害)。そこで、その子だけ動きやすい服装で体育の授業を受けることを提案したところ、学校は「他の子に平等ではない」と最初は難色を示したという。「その子に必要な支援をすることが公正さ」と矢田氏、「日本は平等を意識しすぎるあまり、インクルーシブに進みにくいのでは」と述べた。
フィンランドは三段階で支援
ではフィンランドのインクルーシブ教育はどのようなものか。矢田氏によると、2010年に導入した「三段階支援」が基本になっているという。
ピラミッドを3つに分けたもので、一番下は「General Support」。補習授業、部分的な(パートタイム)特別支援教育、ガイダンスなどで、全ての子どもが受けることができる。
中段は「Intensified Support」でGeneral Supportに加えて特別支援教諭を含む複数の教員が教育的アセスメントを行い、短期的(数週間~数か月)領域固有の教育計画の作成が行われる。領域の例は、算数などの教科もあれば、問題行動なども含まれる。その後、目標が達成できているのかを振り返る。10%ぐらいの子どもたちがこの層に入るそうだ。
ピラミッドの上段は、「Special Support」で教育計画とは別に、個別の支援計画(Individual Educational Plan: IEP)を作成する。アセスメントの範囲が広がるため、場合によっては医師の診断をもらうこともあるという。比率は8%程度。そのうちの35.5%が分離教育(特別支援学級、または特別支援学校)で学んでおり、64.5%はいくらかインクルーシブな形で学んでいるそうだ。「2割は通常学級、8割は特別支援学級にいるなど、子どもの状況に合わせてフレキシブルに対応している」と矢田氏。
一方で分離教育もまだあることから、「フィンランドも完全なインクルーシブ教育ではない」とも説明。そして、矢田氏が尊敬している人の言葉として、「インクルーシブ教育とはゴール(到達)ではなく常にプロセス(過程)。完成形はない」と模索を続けるフィンランドの取り組みを形容した。