オランダの教員養成で大切にされている考え方とは?
第4回の「未来の教員はどう育てる? オランダのコーチング型教育(教員養成大学編)(1)」では、オランダの教員養成大学での具体的な取り組みについて紹介しました。第5回の本稿でも、引き続きオランダの教員養成についてご紹介します。
まずオランダの教員養成では、「自己理解」が非常に大切にされていました。「何ができるのか」よりも「どう在りたいか」が非常に大切にされているという印象を受けました。この考え方の背景には、アメリカの心理学者McClellandの氷山モデルがあります(図1)。水面上に出ている教員の行動や発言には、教育の知識や技能をはじめ、職業や教育に対する理解、そして教員を目指そうと思った動機や自分の教育理念が、水面下の奥深くに根ざしています。この「動機」と「理念」をオランダの教員養成では徹底的に考えさせていました。「なぜ教員になりたいのか」、そして教員になって「どのような教育をしたいのか」「どのような子どもたちを育てていきたいのか」を大学時代に徹底的に考えていきます。目には見えない氷山の奥深くの部分を、コーチングを通して掘り下げていくのです。教員としての自分の姿やビジョンを描き、そして自己を理解し、自分自身をさらに育てていくのです。
今、私達は日本の教員養成大学に通っていますが、日本では氷山モデルの上の方ばかりに焦点が当てられてしまっていると感じています。「このような場面ではこのように指導する」や「学習指導要領ではこのように示されている」というような目に見える行動や知識・技能の面にばかり着目されており、教員になりたいと思った動機や自分自身の教育理念について考える機会がほとんどありません。もちろん、教員としての行動や教育に対する知識・技能の重要性は教育実習を通して十分に理解しています。しかし、それらの行動の背景にある動機や理念について深く考える機会が大学時代には非常に重要であると感じています。
ここで1つ例を挙げて考えてみたいと思います。例えば、ある教員が「トライ&エラーで自ら考える子どもを育てたい」という考えを持っていたとします。そうすると、この教員は子どもがたとえ1度失敗したからといって、失敗を責めるようなことはしないと思います。なぜなら成功のために失敗は必要なものであり、失敗は未成功だということを理解しているからです。しかし一方で、ある教員は「厳しい指導によって子どもは成長する、場合によって体罰は必要である」という考えを持っていたとします。そうすると、この教員は、子どもが失敗をした時に、我慢できずに体罰を行ってしまう可能性があります。最近、教育界やスポーツ界で、体罰に関するニュースを多く目にします。その全員がそうだとは思いませんが、どこか心の奥深くに「場合によって、体罰は必要」という考えがあるのではないでしょうか。
最近話題になっている体罰を1つの例に挙げましたが、教員の目に見える行動の背景には、目に見えない「動機」や「理念」が根ざしています。だからこそ、オランダの教員養成大学ではコーチングを通して、氷山の最も下にある、この2つを徹底的に掘り下げていくのです。
では、そのような教員養成を行うことで、オランダでは一体何を目指しているのでしょうか。その一つが、自己成長できる教員としての自信を持たせることです(図2)。教員は、子どもの成長を支え、未来を創る職業です。そのためには、教員自身が学び続け、自己成長していく必要があります。しかし、教員という職業は人を相手にするため、人との摩擦が非常に多い職業です。生徒・同僚・保護者など、さまざまな人との摩擦が起こります。さらには、教育に対する批判的な世論に、教員としての自己肯定感を失うこともあります。教育という分野は、誰しもが必ず1度は経験をする道なので、多くの人が意見を述べやすく、批判的な意見も多くなります。そのため、たとえそのような状況に置かれても、一歩一歩着実に自己成長していくことのできる自信を持たせることを目指していました。
そして、それと同時に子どもの自己成長を支える能力を身に付けることを目指していました。これは、教員が先頭に立って導いていくというよりも、子どもたちが自らの力で成長していくことを支えていく能力のことです。では、オランダの教育大生は、どのようにしてこの能力を身に付けていくのでしょうか。