新しい時代の学修と教育とは?
こうした時代の変化を踏まえて、これからの学修と教育はどのようにアップデートすべきなのか。福原氏は3つの視点を共有した。
1つ目は、学びと教育の質の転換・向上である。長年、「読み・書き・そろばん」といった基礎学力を身につけること、つまり「リテラシー」の獲得が学習の目的とされてきた。しかし近年は、知識やスキルを具体的な成果に結びつける「コンピテンシー」の獲得へと転換している。
2つ目は、文理融合・文理複眼教育の推進だ。科学(Science)・技術(Technology)・工学(Engineering)・芸術およびリベラルアーツ(Arts)・数学(Mathematics)の5つの分野を統合したSTEAM教育が求められている。
また、大学入試に向けては文系・理系に分かれたカリキュラムで勉強することが当たり前になっているが、最近では科学の発展や人類の進化のために文理双方の視点が必要であることが認識されており、文理融合や文理複眼といった言葉が登場。文系・理系と分けるシステムの改善が求められている。
福原氏いわく、文系に分類される法学にも数学や科学の基礎とつながる部分があるという。「これからは、文系の学生にとっても必要な、理系教育を行う大学が求められる。ただし1つの大学だけでは実現が難しいため、AIやデータサイエンス教育に関しては教育機関同士がネットワークを組んでカリキュラムを提供し、オンラインで授業を受けるといった仕組みが必要」と指摘した。
3つ目は「知性」を得る学びと教育である。福原氏は「知性は志から生まれる」と述べ、数値で測れる試験点数・偏差値だけが知力ではないことを強調した。志とは、知識や技能を集積するだけではなく、自分が学び獲得したものを「このように社会で生かしたい」といった思いが出てくることだ。それが知性だという。
そうした本質的な知性はAIに代替されない。むしろ「AIやデータサイエンスを駆使して社会に生かそうとするのが知性」だと福原氏。
さらに「その知性は個人の立身出世や社会的地位に結びつくだけではなく、その人の活動を通じて社会の役に立つものである」と指摘。だからこそ「身につける知性の公共的・社会的性質に注目し、教育は無償化すべきであり、社会が負担すべきではないか」と提言した。
新しい学びのあり方を支える、学校・大学の役割
こうした新時代の学習が求められる中で、大学の役割をどう捉えるのか。福原氏は「その大学で何を身につけたかが証明されなければならない」と述べ、大学は「学位を授与し、学歴を証明し続ける教育機関としての使命をもっと認識すべき」と指摘した。
また、これからの大学には、幅広い学びの場と機会を提供することが期待される。そのためには大学間の連携はもちろん、地元地域や他の地域との連携・協力がより求められる。国公私立の設置形態の枠を超えた連携や、芸術や文化、スポーツ分野との融合も重要となる。
さらに、福原氏は大学経営における「組織ガバナンス」の重要性も強調。今年4月には改正された私立学校法の施行により、制度基盤が強化された。「この改正対応をペーパーワークとして文科省に届け出る『作業』だけで終わらせている学校法人は行き詰まる」と断言。法改正を機に、大学の組織を強くするチャンスだと捉えて、内部統制システムを整備していかなければならないとした。
福原氏は最後に「新時代に求められる学びと場と機会を提供するような、学校・大学になっていただきたい。卒業生にとって、母校が人生の母なる港になるように、生涯ずっと付き合っていける学校・大学であること。そして、単なる学閥ではないアルムナイ組織がある学校が望ましいのではないか」と奨励した。