キーワードは、新卒一括採用、終身雇用、副業、リカレント教育など。高齢化、人口減少によって、人々のキャリアライフは1つの企業や職場で終わるものではなくなった。副業、セカンドキャリア、サードキャリアが当たり前となる時代へ向けて、企業と労働者のあるべき姿はどんなものだろうか。
日本の働き方改革は1965年から
冒頭、伊藤氏は「働き方改革や人づくり革命という言葉は、最近のものだが、日本において最初にこのテーマに取り組んだのは1965年までさかのぼることができる」といい、それは松下幸之助が導入した週休2日制だったと指摘する。
当時、松下電器の社長だった松下幸之助は「1日休養、1日教養」の理念を掲げ、同社に日曜だけでなく土曜日も会社を休む制度を導入した。これが日本における最初の働き方改革だと伊藤氏はいう。
同時にこの時代は、日本型企業の特徴が形作られた時でもある。男性が会社で働き、女性は家事・育児で家を守る。企業も社員を長い年数働いてもらう前提で、役職やキャリアも勤続年数に連動する形で用意された。成長する経済に支えられ、企業は雇用を固定化する方向で競争力と生産性を維持し、労働者は年齢に応じた収入と雇用が保証されることでそれに応えた。
日本型雇用の本質は職務の無限定性
いわゆる年功序列と終身雇用によって、日本特有ともいえる濃密な労使関係が生まれたわけだ。しかし、伊藤氏は日本型雇用の本質はこの2点ではないと言う。日本型雇用は、職務の無限定性がその本質部分であると言う。職務の無限定性とは、役職や職務に人が就くのではなく、上司などとの関係性で仕事が決まることを指している。
職務・職能ありきではなく、集団や組織ありきの考え方だ。この考えでは、個人の能力が集団でどう生かすことができるよりも、集団の中でどんな役割をこなせるかが重宝されることになる。ホワイトカラーでもブルーカラーでも重宝されるのは多能工であり、誰もがどんな部署でも働けるという一面もあるが、能力のある人に仕事が集中したり、傾向として長時間労働が避けられなくなる。
日本型雇用によって、核家族・専業主婦という平均的な世帯像が決まり、大学・就職・定年という人生設計のパターンが生まれた。経済産業省の次官・若手プロジェクトのレポートが示す「昭和の人生すごろく」が機能していた。しかし、現在は、少子高齢化と人口減少を根本とする、労働力不足、介護問題、女性の社会進出、正規・非正規の格差、雇用流動性の低さ、イノベーションの阻害といった無数の問題が無視できない状況だ。しかも、これらの問題は、日本経済の正義のごとく機能していた終身雇用や年功序列によってもたらされたともいえ、問題解決の手法にはなりえない。