前回提示した4類型の共通点「自信のなさ」
前回は、学生が抱えがちなコミュニケーションの課題について4つの類型を紹介しました。
- コミュニケーションは得意です。人と話すのも大好き。
- コミュニケーションは嫌いではありません。でもいつも聞き役。
- コミュニケーションは嫌いではありません。一対一なら話せます。
- 対面でのコミュニケーションは不得意です。SNSなら話しやすいけど……。
この4つに共通することは「自信のなさ」で、どこか自分に不安があるからこそ、それぞれ課題を抱えていることを説明しました。これはある意味、この年代であれば当然なのかもしれません。学齢期では、ある程度絶対的な正誤での価値観を学ぶ機会が多い中、コミュニケーションにおいては「正しい」と言われることが1つではないからです。その場に応じて正しさが変わっていく状況に、どうすればよいかわからなくなり、自信を失い、不安を持つのです。
結論としてお伝えすると、コミュニケーションを成り立たせるためには、少しずつ自信をつけていくしかありません。しかし言うのは簡単で、この「自信をつける」ということがなかなか大変であるのは想像に難くないでしょう。
「自信」とは何か?
ここで私が使う「自信」という言葉の意味を説明します。広辞苑によると「自分の能力・価値や自分の言行の正しさなどをみずから信じること。また、その気持ち。」と定義されています。一方で私は、大きくは変わりませんが以下のように考えています。
- 「自分自身があるがままに存在してよい」と自分自身で受け入れられること
- 「自分の正しさを信じる」というよりは、自分自身の存在を受け入れられること
これは、
- 正しいことができていない、でも○○が本当は正しいと思っている自分
- 特定のことにこだわりが強い自分
- ○○ができる自分
- ○○ができない自分
など、今の自分自身をあるがままに受け入れることです。子どもたちは成長の中で自分自身の思いや理想、社会で必要な身の処し方のバランスをとっていきます。このバランスがとれていれば自信を持つことができ、自信を持っている者は自分と異なる他者を受け入れることができます。なぜなら、自分が他者によって脅かされないと思えるからです。他者を脅かすつもりがなく、受け入れられる者は自分の意見も発することができます。
「バランスがとれていない」というのは、周囲に合わせすぎてしまい、自分の意志を表現しない習慣がついている、もしくは周囲は気にせず自分の意見だけを主張する習慣がついている状態と言えます。これが先ほど紹介した類型1・2の人たちなのです。
では、どのように自信をつけていけばよいのでしょうか?
誰かに自信をつけさせようとする際、まずやることは「その人を認めてあげるためにほめる、やったことを評価する」といったことではないでしょうか。しかし時には「自信をつけてもらうため」と、何でもほめてしまったり、高い評価をしてしまったりすることがあるかもしれません。これでは、本人の甘えを増長させてしまうだけで、自信を養うことにはつながりません。
では正しく評価するだけでよいかと言うと、そうではありません。もちろん正しく評価した上でほめるべきことをほめ、正すべきことを正すことは非常に大切なことです。しかし、これだけでは「自信」を養うことはできません。なぜなら「常に他人からの評価を待つ」という習慣が身についてしまうからです。社会に出ればやるべきことをやったとしても必ず外部から評価を受けられるわけではありませんし、誰にも気づかれないとしても、正しいことを行う必要があります。「誰からも評価されないからやらない、だからやる気が起きない」では自分にストレスをためこむばかりになるのです。