改めて問われる、学びにおける「保護者」や「学校」の役割
花岡直毅さん(以下敬称略):連載初の対談がオンラインということで、戸惑いつつも新しい可能性を感じますね。東京と京都で顔を見ながら話ができるのは、テクノロジーのおかげです。
正頭英和先生(以下敬称略):僕も急にオンラインでの取材が増えました。また、新型コロナウイルス感染予防対策に伴い、4月末現在でほぼすべての授業を自宅からオンラインで行っています。花岡さんもビジネスコンサルタントとしてのお仕事はオンラインでなさっているのですよね。
花岡:はい、もう日常化しています。グローバル大企業のデジタルテクノロジーを活用した業務効率化やイノベーションをテーマにしていることもあって、コロナ禍の前から世界的な社会活動が大きく変化していることを肌で感じてきました。
一方、4歳と3歳の父でもあり、進学や教育について調べるうちにさまざまな手法や考え方があり、同時に、果たして教育が社会の変化に対応できているのか、疑問を感じるようになりました。
正頭:変化の激しい社会の最前線で活躍されている花岡さんなら、日本の教育が実社会と大きく乖離しているように感じるのも当然のことかもしれませんね。
花岡:自分の子たちが大人になる2030年、2040年を見越した教育になっているのか、不安に思うと同時に深く反省しました。
保育園・幼稚園から、小中高大学まで画一的な枠組みで分断され、さらに私たちも含め保護者の多くは学校に任せきりになっています。しかし、保護者がもっと学びの場に主体的に関わることで、子どもたちの能力や可能性をもっと引き出したり、学校に影響を与えたりできるのではないかと考えるようになりました。それが2019年に株式会社プレイシップを立ち上げたきっかけです。
正頭:学校と家庭の分断に対しては、学校教育の現場にいる人間として強く課題意識を感じています。特にコロナショックで閉校せざるを得ない状況になって、改めて学校は「学び」だけでなく「保育」の機能まで担っていたことを実感しました。保護者不在でも安全を確保できる場として機能していたわけです。
花岡:確かに今回のコロナショックは、その機能が「何のために」あるのか、と立ち戻って考える機会になりましたね。ビジネスの世界でも、押印や決裁の作業はもちろん、「経営判断とは」「会社に来るとは」という組織の根本的な機能も問われています。学校もそうでしょう。
正頭:ええ、コロナショックで活性化しましたが、既存の動画教材ではカリスマ講師の映像授業が受講できますし、ICTツールを活用すればスムーズな進捗管理が可能です。つまり、オンラインだけでも効率的な学習が実現できるんですね。偏差値を追いかけるだけなら、家でも十分にできる環境が整いつつあります。「学校の授業って意味がある?」「学校に来る意味がある?」と、学校の存在意義を問う声も出てきて当然でしょう。
しかし、一方で先ほど申し上げたように「子どもの居場所」としての機能は想像以上に期待されています。そして、学びについても「オンラインではできないこと」が、絶対にあるはずなんです。
私たちが子どものころに流行した、シール付きのウエハースチョコを思い浮かべてください。お菓子のおまけが本体より価値を持ち始めたとき、おまけの品質を上げることでより全体価値が高まりました。同じように学校への期待価値も変わっているのではないかと思うのです。
学校が「子どもの居場所」として価値が高まっていくので、学校教育の価値は「集団の中での学び」といったように変化していくでしょう。今求められている偏差値教育は、価値が少しずつ下がっていくはずだと僕は考えています。