コロナ禍で見直される「大学の在り方」
2022年の大学設置基準の改正、中央教育審議会大学分科会質保証システム部会の議論などは、2018年11月に中央教育審議会で取りまとめられた「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン(答申)」をベースとして展開してきた。そこに思いもよらぬ形で大きな影響を与えたのが、2020年からの約3年にわたる新型コロナウイルス感染症によるパンデミックだ。
授業ができなくなる中で、オンデマンドによるオンライン授業が始まり、徐々に対面と組み合わせたハイブリッド型へと移行し、成績の付け方やレポートなど評価についても議論され、整備が進められてきた。空間や時間を越えた教育の提供ができるようになり、大きな可能性が開かれたと言える。
しかし一方で、学生の「アトム化=砂粒化(孤立化)」などの問題が顕在化し、教える側にとっても理解の深さの確認が難しく、不安を感じる人が増えてきている。実習や研修、フィールドワークなども十分に実施できたとは言えず、海外研修や留学に至っては絶望的な状況となり、コロナ禍前までは海外交流に力を入れていた大学もさまざまな施策を中断することになった。また、キャンパスが閉鎖され、図書館などの授業以外の利用ができなくなり、課外活動も制限された。さらには、学生のアルバイトができなくなり、貧困も含めた経済的問題がクローズアップされるようになっている。
こうした問題を背景に、「大学とは何か」という反省的な問いがなされるようになった。オンラインの授業が一般化した中で、ゼミや講義など、これまでの授業の在り方が見直されている。
その中で改めてフォーカスされているのが「学修者本位の教育」だ。2019年の第10回 中央教育審議会大学分科会 教学マネジメント特別委員会の「教学マネジメント指針(案)(総論)」では、「学修者が『何を学び、身に付けることができるのか』を明確にし、学修の成果を学修者が実感できる教育を行っていること」「このための多様で柔軟な教育研究体制が準備され、このような教育が行われていることを確認できる質の保証の在り方へ転換されていくこと」と、明示されている。同様に、2020年の「教学マネジメント指針」でも「『供給者目線』を脱却し、(中略)『学修者目線』で教育を捉え直すという根本的かつ包括的な変化を各機関に求めている」と表現されている。
では「学修者本位」とは何か。吉岡氏は「学問領域のようにきちんと定義し、それに従って議論されているわけではない。立場によって解釈の仕方も異なり、いいように利用できる側面も否めない。政治性を持つ概念だということを知っておく必要はあるだろう」と指摘する。
さらに言えば、「学修者本位」は「お客様本位」とはまた異なる。これは、学生は顧客なのか、教育とはサービスなのかという問いと結びついている。「サービス」とは顧客が満足することを与え、提供期間が終わればサービスも終了するものであるが、「学び」は学修者がその時点で求めるものを与えられるとは限らず、すぐに成果が出るものでもない。つまり、教育には大きな時間のズレがあり、学んだことの効果が得られるまでに時間がかかり、さらに本人にとって成果が出ている自覚すらないこともあれば、数量化することも難しい。学生が学びたいことの学問分野の教育が体系的に組織され、かつ修得のプロセスも整っており、それらを明確に示されていることが、大学の公的な役割と言えるだろう。
そして「教育の質保証」についても、人それぞれ受け取り方が異なり、「卒業した学生の質の保証」と表現する人も少なくない。しかし、吉岡氏は大学の在り方について、「社会のその時々に応じた人材を作り、それにそぐわない人を排除するような場ではない」と反論する。
大切なのは学生が成長していくことであるが、その「成長」についても定義が難しい。どのようなプロセスが必要なのか、学修の成果とは何か、そのための指標をどう立てるか、社会への貢献についてどのように、どの段階で測定すればいいのかなど、結論が出ないことではあるが、考え続ける必要がある。中には、卒業生に対して満足度調査を行う大学もあり、それらは大学の役割を考える上での手がかりとはなるものの、あくまで一面に過ぎない。