DXの発祥、プラットフォーマーらの破壊的な影響力――そして日本の大学へ
「デジタルトランスフォーメーション(DX)」というキーワードは、テレビのニュースや大手新聞でも目にするほどになった。情報・システム研究機構監事であり、東京家政学院理事長も努める吉武博通氏は、講演であらためて源流から見直すところから切り出した。もともと「Digital Transformation」とは、2004年にスウェーデンのウメオ大学のエリック・ストルターマン教授が「デジタル技術の浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させる」との主旨を表した概念である。
後にIT系コンサルティング会社を通じて、経済界においてはデジタル技術を活用した事業や産業の構造的変革を表す意味合いが強くなっていく。実際、GAFAやNetflixなどのプラットフォーマーらが革新的なサービスを提供し、既存の産業や秩序に破壊的な影響をもたらしてきた。ビジネスのDXでは勝者と敗者が生まれ、「これまでのやり方は通用しない」と言うがごとく情け容赦のなさも感じられるほどだ。
一方、日本政府が掲げる「Society 5.0」では「サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会」とある。経済界のニュアンスよりもストルターマン教授が提唱した概念に近い。
経済産業省が2018年12月に発表した「DX推進ガイドライン」では、「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデル変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」と定義されている。日本では多くがこちらを参考にしている。
DX推進においては経営トップの関与や体制整備が極めて重要であり、意思決定のあり方や変化への対応力が求められている。またDXの基盤となる全社的なITシステムの構築も欠かせない。システム部門やSIerに丸投げするのではなく、事業部門が当事者意識を持ち、要件定義できることが重要だ。システムを「つくったら終わり」ではなく、改良を継続して変化に追従できることも必要である。
あらためてこれらを比較すると、ストルターマン教授が提唱した社会のありようが端緒となり、経済界が生き残りをかけて動き出し、行政も後押ししたという流れが分かる。直近ではコロナ禍で日本におけるデジタル対応の遅れが露呈し、政府がより積極的に旗を振り始めているところだ。
こうしたDXの動きは文部科学省の後押しがあり、経済界から大学にも流れてきている。例えば「大学教育のデジタライゼーション・イニシアティブ(Scheem-D、スキーム・ディー)」や「デジタルを活用した大学・高等教育高度化プラン」などが徐々に動き出している。
日本の研究分野においては中国の台頭により危機感が高まっており、閣議決定された「第6期科学技術・イノベーション基本計画」では、DXによる研究の高度化が盛り込まれたところだ。研究にもDXを取り込んで効率化し、より付加価値の高い研究成果を創出しようという動きが出てきている。
大事なのは大学経営のDXによる高度化だ。本講演のテーマでもある。教育や研究の高度化を進めるにあたり、事務的処理のデジタル化(効率化)を通じて人的資源をより付加価値の高い業務に振り分けるとともに、データを最大限に活用しようとしている。教育や研究だけに注力するのでは不十分だということだ。経営の高度化や事務処理の効率化が欠かせないのである。