「まずは校務で使ってみる」理由とは
私
ここまで話を聞くと、AIを安全に使うルールはだいぶ整理できそうですね。でも、やっぱり「授業でいきなり使う」ことはハードルが高い気がします
一郎
それは正しい感覚だよ。授業では学習記録を扱う場面もあるし、AIの出力が本当に正しいかをその場で判断するのも難しい。さらに、授業では「どんな力を育てるためにAIを使うのか」という目的を設計する必要もある。だから、いきなり授業に持ち込むのはリスクも大きいし準備も大変だよね。だからこそ、まずは校務で試してみることが大事なんだ。校務は、子どもに直接影響が出ない範囲で、教員が生成AIの「便利さ」と「限界」を体験できる安全な場と言えるよ
一郎
そう。例えば、議事録や案内文の下書きをAIに任せてみると、時間は短縮できる。でも、読んでみると「語尾のトーンが違う」「内容が薄い」といった違和感もある。つまり、AIは速いけれど、プロンプトに書かれていないことは読み取らない。その「ズレ」を体感することが、授業で活用するときの感覚づくりになるんだ
私
まずは自分が「どの程度までAIに任せられるのか」を知るわけですね
一郎
実のところAIを使うスキルって、技術というより「感覚」に近い。試してみないと、どこで便利で、どこからは人間の判断が必要かがわからないことも多い。だから校務での活用は、AIを正しく「道具化」するためのリハーサルなんだ
私
確かに、授業で子どもたちに「AIは万能じゃない」と伝えるためにも、教員自身がその実感を持っていないと説得力がありませんね
一郎
その通り。教員が「AIをどう使い、どう疑うか」を体験しておくことが、子どもに示す最初のモデルになる。校務で試すことは単なる効率化じゃなくて、授業における生成AI活用の「予行演習」とも言えるね
教員自身が試して、デメリットも知ることが大切
私
結局のところ、AIを学校でどう使うかって、「まずは教員自身が試してみる」ことが出発点なんですね
一郎
そうだね。まずは教員が安心して試せる場面から始めること。校務でAIを使ってみると、便利さだけでなく、限界や注意点も肌でわかる。それが一番の学びになるんだ
私
実際にやってみることで、「AIは魔法ではないけれど、確かに頼れる相棒になる」って実感できそうです
一郎
その通り。そして、そうした経験が授業での活用につながっていく。教員が自分の言葉で「どう使って、どう考えるか」を語れるようになったとき、子どもたちはその姿勢を学ぶ。AIの時代に大切なのは、「AIを使うスキル」もそうだけど、「AIとどう向き合うかを示す人間の姿」のほうがより大切なんじゃないかな
私
なるほど。じゃあ次は、子どもたちにどう見せ、どう使わせるかですね
一郎
いつの間にか次回予告がスムーズになったね。次回は、授業での生成AI活用と子どもたちへの見せ方を考えていこう
記事内人物イラスト:©hitomi miyahara - stock.adobe.com