はじめに
先日、とある教育ICT関連のイベントで「『誰一人取り残さない学び』は本当に実現できているのか?」というテーマでお話しさせていただく機会がありました。「ICT活用で、こんなに『誰一人取り残さない学び』が実現できているよ!」と話したいところでしたが、私は「まだ実現していない。でも、ようやく誰一人取り残さないことを目指せる環境が整いつつある」とお話しさせていただきました。
1人1台端末とネットワークの整備でかなりのことができるようになってきましたが、それでもまだ十分だとは言えません。さらに個別最適な学びに近づくためには、生成AIをどのようにして活用していくかが鍵となっていくでしょう。
読書感想文コンクールや授業のレポートに、生成AIを利用することを危惧する考えがあります。確かに、何も読まず、考えずに、生成AIを使って提出するのはチート行為以外の何者でもありません。しかし、実際にやってみると、それらしい読書感想文やレポートを生成するにはかなりの試行錯誤が必要となります。いろいろ手を加えた結果、最初に生成されたものとはほとんど別物になっていることが多いものです。
文部科学省から2023年7月に出された「初等中等教育段階における生成AIに関する暫定的なガイドライン」では、生成AIの活用にあたって、その教育的意義と注意点を示しながら、安全かつ効果的な利用を促進するための指針を提供しています。特に小学校においては、直接使用のためには保護者の同意のもとで限定的な活用が適切であるとされています。さらに、サービスごとに設定された年齢制限があるため、いくら便利だからといって「ChatGPT」や「Gemini」をそのまま小学生に使わせることはできません。
まずは教師が使っているところを見せる
先述した通り、ChatGPTなどを小学生がそのまま使うことはできません。小学生が使えるように教育向けに整備されたサービスもありますが(詳しくは今後の連載で紹介します)、最初から子どもたちの操作を前提とした授業をするのはあまりおすすめできません。なぜなら、生成AIはハルシネーション(正確な情報の中に誤った情報が混ざってしまう)を起こすからです。まずは教師が子どもたちの目の前で生成AIとやり取りしてみましょう。
ここで大切にしたいのは生成AIの「すばらしさ」と「残念さ」を両方体験させることです。具体的には、どんな質問に対してもすぐにレスポンスを返してくれることに期待を持たせながらも、いけしゃあしゃあとそれっぽい嘘(ハルシネーション)を提示してくることを体験させるのが重要となります。
そのためには、子どもたちが誰でも知っている地域のローカルな内容について生成AIとやり取りしてみましょう。例えば、私が勤務している青森県五所川原市についてChatGPTに質問してみたところ、以下のような結果が表示されました。
1番と3番には特に問題はありません。2番も問題なさそうに見えますが、五所川原市では焼き干しラーメンが特に有名というわけではありません。また、しじみを出汁に使っているのが特徴とありますが、これは完全な間違いです。
特に問題なのは4番と5番です。確かに「鶴の舞橋」は日本一長い木造三連太鼓橋として有名で、そこから眺める岩木山は実に見事なのですが、鶴田町は五所川原市の一部ではなく、まったく別の自治体です。また「ごしょつがるニンニク」というブランドニンニクは地元民でも聞いたことがありません。
このような事例に触れることによって、生成AIは「すごいけどすごくない」を実感させ、今後の生成AI活用で生成結果を無条件に受け入れることを防ぎ、冷静に判断できるようになります。ただ、注意しなければならないのは、ハルシネーションを強調しすぎると、生成AIに対して冷淡な態度になりがちなことです。生成AIに対して必要以上に懐疑的になってしまうと、せっかくの便利なツールを十分に活用できないことにつながります。